映画『赤い玉、』…老いる、ということはがテーマ

2016y09m06d_230417135

本作は老境に入った映画監督につきつけられた日常と、半ば妄想と解釈できなくもない非日常を、映画中映画とも言える二重構造の構成で描いた作品であり、主人公である映画監督・時田は高橋伴明監督自身を投影したキャラクター。つまり、監督自らが老境に至った心境を吐露した心象映画と言える。
本作のテーマとは、いわゆる老いである。大学で学生たちに映画製作を教える時田は、映画監督としてはすでに現役からドロップアウトした身だ。
それは本人も自覚していながら、講義のかたわらに新作の脚本を書き続けているが、筆は進まない。また、加齢による体力の衰えは隠しようもなく、思うようにならない下半身の機能に苦しむ。そんな時田の前に現れた美少女・律子。律子に心奪われた時田は、彼女をストーカーのように尾行し、清純な仮面の下に隠された彼女のもうひとつの顔を知る。
本作は時田が書き留めている脚本の内容とシンクロするため、自らの体験を脚本化しているのか?
それとも全てが妄想なのかは判然としない。もちろん妄想と捉えた方が、フェリーニの『8 1/2』みたく面白いのだが、その解釈は本作を見た者に委ねられる。
しかし、本作は老いという現実を赤裸々に描きながら、不思議と老醜とでも呼びたくなるような見苦しさはない。
時田が吐くセリフも自虐的ではあるが、ユーモアに満ちている。 ピアノ初心者の彼女たちもどう思っていただろうか?
要するに本作は、無頼に生きたひとりの映画監督の人生のけじめを、時田というキャラクターに託して描いた作品ってとこか。男とは幾つになっても現役、仕事と性の呪縛から逃れることはできないのだよ。赤い玉が出るまではね。

コメントを残す